日 時:10/10(火)午後2時~午後4時
場 所:たづくり6階 601会議室
テーマ:懇談会と「日本語の乱れ」
参加:8名(ボランティア8名)
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10月10日火曜日に、「第10回 日本語ボランティア同士のフリートーク」が開催されました。
「言葉は変わるもの、されど伝承すべきもの」(北原保雄)とはいいますが、学習者の修得している日本語に、学習を進めていく過程で、いずれどこかで修正する羽目になる「乱れ」を認めたときに、
- ● 学習支援ボランティアはどう向き合うのか、
- ● いずれ消えゆく言葉を敢えて教えるのか、
等々、興味深い興味深い議論が展開されました。
1.日本語の「乱れ」とは何か
文化庁「国語に関する世論調査」より、例:
- o 世間に広まっている口語表現:すごく速い、ではなく、すごい速い、
- o 本義から意味を変化させてしまった慣用表現:姑息・割愛など
その他人口に膾炙してしまった例では、
- o 「全然」のように意味合いが否定から肯定に変化した言葉もある:「全然大丈夫です」
- o テレビ等のメディアでは、「推し活」「寒っ!」といった言葉が何の問題もなく流れている
- o それほど〜ない、ではなく、そこまで〜ない、という表現
- o ある・いるの生命体・物体を問わない錯誤的用法(「けが人はありませんでした」は正しいか?)
- o とりたての助詞「は」の誤用(?):〜とは思います。
そのほか参加者が感じる日本語の乱れの現場:メディアから流れる過剰な敬語、美化語の氾濫
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- o 〜してございます、〜させていただいております
- o 敬語というよりは「本心を隠すごまかしの表現」という文化的・社会的背景もあるのではないか
- o アナウンサーの誤用は収録等のチェックを経ない場合が多くなり、容易に電波で拡散され、日本語の変化のスピードに拍車をかける
- o 小学生でも敬語は4年生から
2.自己紹介がてら幾名かの参加者より聞かれた話では、「助詞」の扱いに「乱れ」に似た状況を感じている様子でした。
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- o 助詞抜き言葉、あるいは形容詞の後に「の」が入ってしまう問題を、どこまで認める・教えるのか。
- o 助詞は教えていても飽きられてしまうテーマなので悩ましい。
- o 助詞は「抜いてはいけない助詞」を押さえておけば、抜いてもいいのではないか。
- o 文章に書かせると(例えば一行日記)助詞の「抜け」を発見でき、書くことは助詞の用法のトレーニングになる。
- o グループ学習では、学習者同士で話しさせると有効ではないか。
- o 図書館で絵本を借りて読んで教材とし、初歩的な助詞の使い方を覚える方法は有効だ。
- o ら抜き言葉:らを抜けば可能表現となり、受身(または自発・尊敬)ではないと理解できる場合もある:(見れる・見られる、食べる・食べられる)
助詞学習の教材
3.学習支援ボランティアは日本語の「乱れ」にどう向き合うのか
- o 「乱れ」は言葉の使用者の属性(年齢や地方)によるところが大きく、自分のスタンダードを「正しい」として、自分とは違う年齢の外国人学習者に乱れ(誤用)を見出した場合に、「誤用だ」「正しいのはこれだ」と断定する姿勢には慎重になりたい。
- o 文章にするときは正しい日本語を使うのではないかと期待されるが、話し言葉と書き言葉は本来的に違うので注意したい。
- o 言葉は変わる・変化する前提に立ち、言葉が変わり変化したとしても、「コミュニケーション」は不可避であるのだから、学習者は何を求めてコミュニケーションを図ろうとしているのかを理解する姿勢が重要ではないか。
4.番外編
「みんにち」が「重すぎる」ときの初級~初中級向け総合教科書:
関心課題: 母国語と日本語の発音の独特な関係
- o ベトナム語・韓国語話者の「ツ」→「チュ」
- o フランス語話者の「ジャ」「ジュ」「ジョ」及び「さ行」
次回のフリートーク(第11回)は年明け1月30日火曜日の予定です。みなさま奮ってご参加ください!
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